断酒とネコの日々

断酒を試みては失敗、自己嫌悪のループからようやく抜け出せそうな日々。

【断酒158日目】太宰治の禁酒の心

飲みもしないご当地カップ酒を探しているうちに、なぜか太宰治の『禁酒の心』という短編に辿り着きました。

禁酒するにあたっての心の有様などが書かれているのかと思い、読んでみますと

私は禁酒をしようと思っている。このごろの酒は、ひどく人間を卑屈にするようである。昔は、これにって所謂いわゆる浩然之気こうぜんのきを養ったものだそうであるが、今は、ただ精神をあさはかにするばかりである。近来私は酒を憎むこと極度である。いやしくも、なすあるところの人物は、今日此際このさい、断じて酒杯を粉砕すべきである。 

太宰治 禁酒の心

という書き出しに始まり、配給の貴重な酒をちびちび飲む人たちを「吝嗇卑小」とか「浩然之気もへったくれもあったものではない」とか「それほどまでに酒を飲みたいものなのか」とバッサリ。要するに、最近の酒飲みはケチくさくてかなわんぜ!ということでしょうか。

 

で、

たまに酒の店などへ行ってみても、実に、いやな事が多い。

 ほうほう。

 

お客のあさはかな虚栄と卑屈、店のおやじの傲慢ごうまん貪慾どんよく、ああもう酒はいやだ、と行く度毎に私は禁酒の決意をあらたにするのであるが、

なるほど。…え、行く度毎に禁酒の決意…?

 

 機が熟さぬとでもいうのか、いまだに断行の運びにいたらぬ。

 

 やめるのかと思ったらやめへんのかーーい。

ただ自分が気持ちよく飲めないから、悪口書いてるだけだった。

『酒ぎらい』というエッセイもあって、こちらには「酒なんて不潔よ!そんなものお台所に置いておけないわ!」と言いながら外で飲む様が書かれています。

 

どうも、家に酒を置くと気がかりで、そんなに呑みたくもないのに、ただ、台所から酒を追放したい気持から、がぶがぶ呑んで、呑みほしてしまうばかりで、

太宰治 酒ぎらい

つまりあったらあっただけ飲んでしまうと。 

 

wikipediaを見ると

短編「禁酒の心」にあるように酒もよく飲んだ。体に悪いと言われると「酒を飲まなければ、クスリをのむことになるが、いいか」と弁解した

太宰治 - Wikipedia

 と書いてありますので、太宰自身はお酒はやめなかったんだろうと思います。

ちなみに初出は『禁酒の心』が1943年、『酒ぎらい』は1940年でした。

 

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昔作った太宰治消しゴムはんこ。まさか10年の時を経て日の目を見るとは。

 

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えー。

 

 

 

 

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